ぽこ あ ぽこ  音楽教室  岐阜ピアノ教室

岐阜県羽島郡笠松町にある 「ぽこ あ ぽこ音楽教室」
ピアノ、ソルフェージュを
丁寧に指導しています

「楽譜に忠実に」というのは、
本当に本当に難しいことですよね

おそらく、本当に音楽が分かり始めた時、
この問題にぶつかると思います。

「楽譜通りって何だ?」
「そもそも、楽譜って何だ?」


市販の楽譜は、多くが「校訂者」によって、
書き直し、書き加えられた記号があります。

「えぇ?作曲家が書いたままじゃないの?」と、
子供たちもよく驚きますが、その通り、
作曲家が書いたままではありません。

信じられない方は、一度、
自分で楽譜を書いてみましょう
そして、その楽譜を誰かに見せてみましょう

自分も他人も全く同じように理解できるような、
「完璧な楽譜」を書くということは、難しいものです。
難しいどころか、不可能と言ってもいいかもしれません。


では、分かりやすいように、
「文章」や「言葉」を例に考えてみましょう。

字が汚い人の文章は、
何が書いてあるか分かりませんよね
誤字脱字…ありますよね。
句読点のつけ方で、文章のニュアンスも変わりますよね。

夫婦、カップルの皆さん、
助詞の使い方でケンカになったことはありませんか?
「何食べる?」→「○○でいい」
「でいいって何よ」→「ごめんごめん、○○がいい」

「ありがとう」という言葉は、フツウはお礼の言葉ですが、
使い方次第では、嫌味としても使われますよね?


楽譜も同じです。
キレイな楽譜を書く人もいれば、汚い楽譜を書く人もいます。
ドなのか、レなのか見にくかったり、
書き間違えることもあります。

たかが1文字の違いでケンカになるほど、
表現というのは難しいものです。

同じ言葉でも、場面、状況、発言者、受け手によって、
受け取られ方が180度変わってしまうこともあります。


そうです。
楽譜の校訂は、人の文章の誤字脱字を直したり、
「この言い方はマズイのでは?」と思う箇所や、
微妙なニュアンスのところに手を加えたりするのと同じなのです。


英語の翻訳にも似ています。
簡単な英文でも、訳す人によって違います。

There is a piano.
「ピアノがある。」
「ピアノがあります。」
「1台のピアノがあります。」

どれも○がもらえる回答ですが、どの文章も違います。
正解、不正解ではなく「違う」わけです。

そういうことが、楽譜上で起こっているのです。



特に、昔々は、音楽は代々受け継がれるものでした。
邦楽などは、今でもそうですね。
(ただし、最近は、口伝だけでなく、
形にして残そうという取り組みも行われているようです。)

バッハの作曲した学習用の作品は、
自分の子供たちのために書かれたものということは有名です。
息子たちが、バッハの解釈と違う演奏をした場合、
バッハ直々に口で伝えることができたわけです。

自分の子供でなくても、音楽ができるのは、
貴族などのお金も時間も教養もある人々。
「常識的に分かるでしょう?」
「奏者の感性にお任せします」と、
強弱記号やスラー等は、書かないこともほとんどでした。

印刷技術が発達していない間は、
写譜するしかありませんでしたから、
今のように、作曲家から、作品が大きく離れてしまうことも
少なかっただろうと思います。

それが、出版技術が発達し、大量に印刷ができるようになり、
作曲家の手を離れるようになっていくと、
様々な問題が出てきます。

そこで、出版社の人間や、お弟子さん等が、
書き直したり、記号等を書き加えるようになっていきます。

そうなると、「伝言ゲーム」になる可能性は、
どんどん増していきます


そこで問題になるのが、
「その楽譜が、どこまで信頼できるのか」ということです。

改めてお尋ねします。
「今、目の前にある楽譜を忠実に弾く」ということは、
本当に作曲家の意図に忠実なのでしょうか?

その楽譜、または、その楽譜の校訂者の意図に
忠実なだけかもしれません。


私は「楽譜に書いてあることが全てだと思わないで」と
言っています。

私は楽譜は宝探しの地図のようなもので、
そこから、作曲者に近づいていくと考えています。

でも、結局のところ、忠実であるかどうかは誰にも分かりません。
作曲者以外の誰にも分からないことだと思います。

レッスンでも、
「今、耳ともで、ベートーヴェンさんが、
違う!そんなつもりで書いたんじゃない!
と叫んでいるかもしれません。」
なんて言うこともあります。


昔、何かで読んだことがあります。
記憶が曖昧なので、信じ込まないでいただきたいのですが、
とある歌手の詩は、
国語のテストに出題されることがあるそうです。

その詩の解釈を答えるのですが、
「正解」とされているものを見て、
「私はそんなつもりで書いたんじゃないというものが、
正解になっていることがあるんです(苦笑)」と
おっしゃったそうです。


楽譜に忠実に弾くということは、
実に難しく、奥が深く、そして、限りなく不可能に近い作業です。

しかし、私たちクラシック奏者は、この作業をやめません。

なぜなら、それが人の作品を演奏する楽しみであり、
面白さであり、難しさであり、喜びであり、
多くの人が、同じ作品を演奏する意味に繋がるからです。

コメント

 コメント一覧 (2)

    • 2. きみこ
    • February 18, 2009 02:14
    • そうだよ。
      宝探しするんだよ。
      こたろうも一緒に宝探しする?
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