ぽこ あ ぽこ  音楽教室  岐阜ピアノ教室

岐阜県羽島郡笠松町にある 「ぽこ あ ぽこ音楽教室」
ピアノ、ソルフェージュを
丁寧に指導しています


とうとう、ピアノの部屋の本棚がいっぱいになり、
溢れ出しています…。

それでも、少しは整理せねばと本棚をゴソゴソやっていたら、
大学時代のノートが出てきました。

懐かしい〜

しかも、大好きなたれぱんだのノートで、
何とも笑える…



出てきたノートは、
大学での指導法のレッスンと、
ウィーンに1ヶ月行った時のレッスンを
書き留めたもの。

完全に身になっていて、
自然に指導していることもあれば、
改めて、今だからこそ納得がいく部分も
ついでに、分かってはいるけど、未だにできてないことも…

先生の言い回しがすごく好きで、
そのまま書き留めてあることが多々あり、
レッスンで使えそうなフレーズもたんまり発見。

良いネタ帳を見つけました



ところで、私もいい年齢になってきました。
とうとう、シューベルトの亡くなった年齢を超えました。
もう少しで、ショパンやモーツァルトにも追いつきます。

昔は、作曲家たちが、本当に生きていた人間だとは、
どうしても思えませんでした。

「天才」としか思えなくて、
おとぎ話の世界と言いますか…
作曲家が生きていたという真実味がなかったのです。

手がかりを求めて、本を読んでみても、
他人の描く作曲家像は、あまりピンと来ませんでした。

「噂話」みたいな感覚だったんだと思います。

誰も見たことがない、本人と話したこともないのに、
「ベートーヴェンってさー、頑固で嫌なヤツらしいよ」
とか何とか言われている気分で。。。

色恋沙汰も、家族とのトラブルも、
どれもこれも、みんな本人から直接聞いた話じゃない。

正しいとか正しくないとか、
史実的にどうとうか、そういうことはどうでもよくて、
とにかく私の感覚的に、納得がいかない。。。

私は自分の目で見たり、聞いたり、感じたものしか、
基本的に信じられないタイプなので………。


それが、20代後半ぐらいからかな?
急に、楽譜を読んだり、演奏したりしていると、
何やら、人柄が分かるようになり始めたのです。

そして、音楽が、まさに彼らが生きていた証なのだと、
心の底から感じられるようになり、
途端に、バロックや古典派が面白くなり始めました。

個人的な調査によると、
ロマン派が大好きで、
古典派は幼少期から弾いてきたために、
馴染みがあるという意味で、まぁまぁ好きで、
バロックは苦手で、
近現代は訳が分からないと言う人
(あ…学生レベルでの話です)が多いようですが、
私は、バロックと古典派が嫌いで、
ロマン派はまぁまぁ好きで、
近現代が大好きでした。

近現代は、作曲家自身も、その人の人生も、
その人が感じていたであろうことも、
とにかくいろいろなことを感じやすかったのです。

みんなが「近現代は訳が分からない」と言っている隣で、
「え?近現代の方が、よっぽど分かりやすい人多いよ」
と答え、奇妙な顔をされたものです…。

確かに音楽は、へんてこりんなものも多いですが、
バロックや古典派時代に比べたら、
現代人的な「感覚」として、共感しやすいのだと思います。

昔は、政治的にも、世間的にも、音楽界の常識的にも、
表現方法が抑圧されたり、限界があったりしたのだと思います。

だから、表面だけを見ていたのでは、
その作曲家の心に触れることは、
少なくとも私にとっては、難しいことでした。


でも、年齢的なこと、様々な経験を積み重ねてきたこと、
精神的な成長、音楽的な成長…いろいろなことがあって、
やっと、音楽や楽譜から、感じられるようになってきました。

「あ〜、ベートーヴェンは、とっても照れ屋さんで、
言葉で上手に表現することができなかっただけなのね。
でも、本当は言いたいことがいっぱいあって、
それで、音楽ではこんなに饒舌なのね。
喜怒哀楽が激しくて、本当は飛び上がって喜びたい時も、
ちょぴっと我慢しちゃって、それが誤解を招いちゃうのね。
本当はユーモアセンスもあるのに、人が笑ってくれると、
嬉しくなって照れちゃって、
急に仏頂面になったりしちゃってたんじゃないの〜?
そりゃ、フツウの人間には、誤解されるわよ〜〜〜。
扱いにくいと思われちゃうわよ〜〜〜。」

「何だ、バッハって穏やかなだけじゃなくて、
意外と負けず嫌いだったり、意固地なところがあるのね。
時々、音楽でギャフンと言わせたくなることがあったのね。
でも、誰を?
あ〜、きっと、歴史上は名を残してないような…
隣のおばちゃんとかに、あんたの音楽はつまらん!
とかなんとか言われちゃったんでしょ〜〜〜。
で、奥様は愚痴を聞いてくれて、
あなたの音楽は世界一とか言ってもらってたんでしょ〜。
バッハって…かわいい。。。」

「モーツァルトは陽気なバカかと思ってたけど、
本当はいいようのない孤独や寂しさを抱えてたんだな…。
自分で自分のことが分からなかった時も、
たくさんあったんだろうな。
でも、うつけを演じてただけで、
本当は世の中のことがよく見えてたんだね。
自分をバカだと思って笑う人を見て、
あ〜、この人もダメか…とがっかりしてたのね。
本当に人間という生き物を愛して、期待していたんだな…。」

人間ですから、その時々で、
違う面を見せることは多々あります。
絶望している時と、絶頂期では、
考え方そのものが180度違うこともありますから、
その都度、その曲と向き合うという感じです。

なので、何曲か弾いてみて、
「やっぱりね〜」と思うところもあれば、
今までとは違う面を発見する時もあります。


もちろん、どれもこれも、私の勝手な想像に過ぎません。
真実かどうか分かりませんし、
それを確認する術もありません…。

でも、人の噂話を信じるよりは、
私が感じるものを信じる方が良い。

誰かにとっては、頑固で嫌なヤツかもしれませんが、
私にとっては、照れ屋で、不器用で、
ボキャブラリーが貧困なおじさん。

それが、私らしい演奏になるのだと思うし、
私が演奏する意味は、きっとそこにある。

他人の曲を、何百年もの間、
何万人、何億人の人が演奏する意味は、
もしかしたら、そこにしかないのかもしれない。。。


昔は、何が正しくて、何が正しくないのか…
時代様式とか、奏法とか、
そういうことにだけ囚われていた時期がありました。
だから、弾くことがあまり楽しくなかったのです。
特に人前で弾くのは嫌でした。。。

でも、そういう期間を経て、
私なりに、作曲家を素直に感じることができるようになって、
不思議なんですが、そうなると、
それまでよく分からなかった時代様式とか奏法なんかも、
突然、点と点が繋がるように、分かったりして、
「あらららら」っと弾けてしまったりすることが増えました。


で、話をノートに戻しまして…
ウィーンで、レッスンを聴講していた時に、
書き留めたものの中に、こんなメッセージが書いてありました。

ヴィクトル・トイフルマイヤー先生のお言葉です。

「弾く前に、まず響きを想像する。
次に、その響きには、どんな動きが必要なのかを考える。
弾いてから驚いてはいけない。
音楽を体の中に持つこと。
音楽は、人生の中にあるものだから、
それをもっと感じること。
音楽は人生そのものである。
どんな偉大な作曲家でも、人間だった。
自分の感じたものを変えてしまわないで。」

こんな言葉を書き留めていたなんて、
すっかり忘れていました。
きっと、この時は、訳も分からずに書いていたと思います。

でも、筆跡からすると、よく分からないという戸惑いと一緒に、
重要なメッセージだということは感じ取っていた様子。

今の私なら分かります。
先生が伝えたかったことも、この言葉の意味も。


亀みたいに歩みののろい私でも、
ココまで何とか辿り着けました。

道に迷ったり、寄り道したり、
休憩のつもりが寝過ごしちゃったり、
調子に乗って、突然勢いよく走り出してみたり、
先が見えなくて、途方に暮れてみたり、
10年間、いろいろやってきましたが、
その全てが血肉となり、音楽となっていくのですよね。

さて、また、ぽくぽくと、のんびり歩みを進めます
10年後、また何かを手に入れているといいな

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